景気回復の指標として住宅価格や家賃の推移が用いられるが、
シリコンバレーではそれらの動きが非常に敏感だ。
新しいベンチャーが次々と生まれ、そこには雇用の機会が存在する。
そして能力が高ければ性別、年齢を問わず、高い報酬をそこで得ることができる。
モチベーションに満ちたアクティブなプロフェッショナルが世界中から集まってくる。
90年代後半から2000年半ばにかけてはCI(中国系、インド系)の移民が次々とバレーの各地に流入した。
その結果として生徒の8割程度がアジア系 そのほとんどが教育熱心な中国系になってしまったCupertino市にあるいくつもの中学や高校。
Sunnvavale市のアパートにはインド系の移民が6割、7割を超え、近所を通ると
ここはインドか?と見間違うことある地域もある。
しかしそんなプロフェッショナルであっても、ここシリコンバレーでは雇用は保障されているわけではない。
一度、会社が景気に煽られれば一瞬で職を失ってしまう。
解雇通知は容赦なく社員に突きつけられる。
2008年度から2009年度にかけては二桁に突入したバレー内の失業率。
その頃には、何人もの知り合いから職を求めて履歴書やリファレンスメールの
リクエストが送られてきた。
いままでのような高い家賃ではアパートの借り手がつくわけもなく、
アパート同士で値引き合戦が始まる。
そんなバックグラウンドもあってアパートの家賃は月単位、ユニット単位で
変動している。 (アパートの契約単位が1ヶ月、3ヶ月という短い期間でできる
こともアパートの家賃変動を助長しているともいえる)
シリコンバレーに移住した94年、初めて借りたアパートは2ベッドルームで
あったが、家賃は$1100だった。 それがアメリカの90年後半の景気に乗って
半年毎の更新のたびに家賃は上がっていった。
わずか2年後の96年には$1500となり、その年にそのアパートからは引越ししたが、
2000年には同じサイズの部屋が$2800前後でレンタルされていた。
その頃にはシリコンバレー内にはどんなに小さい家であっても、$1ミリオン(9600万円)以下の物件を探すのは難しいと言われる住宅事情となっていた。
そしてリーマンショック、シリコンバレーの景気後退。
全米平均の住宅価格指標で2000年を100として、2006年に190を超えたものが急下落、2009年には125に指標を落としていた。
それが今年の1Q(第一四半期)を越えたあたりからゆるやかに上昇し始めている。
シリコンバレーのアパートの家賃の上昇はそれよりも早かった。
今年初めから、いままで下落していた家賃が底を打ちバレーの中心に位置しているアパートから少しずつ上昇していた。
最近の新たな住人達は値上がりする前に長期(6ヶ月、1年)のレンタル契約に切り替えている傾向が強い。
景気の山により大きな変動をうけたシリコンバレーの住宅価格だが、世界と比較して
住宅価格はどういう位置づけなのだろう。
Housing Affordabilityという一つの指標がある。
その地域の平均の住宅売買価格を、地域に住む住民の平均年収で割った値である。
さい値ほど、住宅の購入が行いやすいことを示す。
シリコンバレー内では一番人口の多い、SanJose市 のHousing Affordability rateが6.2
とある。 (Demographia Internationall Housing Affordability Survey, Data for 3rd Quarter 2009 )
アメリカ、カナダでの指標が一番小さいかったのは、Detroit。
なんと指標は1.6 である。
もちろん広大な敷地があり人口密度もそれほど高くない場所で、田舎も都会も平均しての値ではあるが、年収の1.6倍で持ち家が持てるのである。
Atlanta, Las Vegas, Phoenix, Scramento, 最近人気と言われているメジャーな都市でもこのあたりまでは3.0以下。
アメリカ国内での最大値はHonoluluで8.2となっている。
居住目的としたプライマリハウスではなく、投資目的のセカンダリハウスのコンドミニアムなどが多いことも指標を押し上げている原因のひとつだろう。
それでは、日本はどうだろう。
東京が最高で10.02, 首都圏では神奈川が8.82、それに埼玉県 7.44、千葉が 6.17 と続く。(東京カンティ 2009年新築マンション価格調査)
サンノゼの Affordability Rateは中古、新築を問わず売買された住宅の平均価格、
日本の値は新築マンションの平均価格と直接は比較できないが、サンノゼと千葉が
ほぼ同じ値ということになる。
それにしても東京は高い。 やはり世界で一番住宅を持ちにくい場所というのは
変わらない事実らしい。