『 情報ソースの拡散 』

東日本大震災の第一報をしったのは、サンフランシスコで食事をしている時だった。
日本から出張で来ていた知人のBlackberryに会社の人事部からの安否確認メールが
全社員宛てに届いたのだ。 直後より、TwitterやFacebookを見てみると、日本の友らが
発信するメッセージや情報にただ驚くばかりだった。 被災時に都心にいて電車が止まり、
足を失ったが、幹線道路を黙々と各自の自宅を目指して道路一杯に歩く人たち、地下鉄の
駅構内から出口に向かって走る雑踏、 東北新幹線車内にて緊急停止に遭遇し閉じこめ
られた知人もいた。 日本の仲間達が発信したメッセージや、映像はどんなニュースよりも
臨場感があるものだった。

シリコンバレーにて暮らしていると日本のTVニュースの放送は、ケーブルTVで日本の
チャンネルと契約し録画放送を数時間遅れでみるか、放送局のホームページで限られた
ニュース動画をみることしかできないが、日本人仲間のメールにて、UStreamにてNHKと
TBSが地上波の放送をそのままストリーミングしていることが判り、自宅に戻ってからは
日本からの映像を時差なしで、翌日早朝までUStreamの配信を見続けた。

日本の朝が明ける前に、Facebookで日本をサポートする情報などがグループに集められ
募金先はどんなところがあるのか? それぞれのメリットデメリットは?
そんな情報が次々に入ってくる。
アメリカのメディアの対応も非常に早い。 震災から2日目には特派員達を日本におくり
独自の映像や解説を流し始めていた。
Facebookのプロフィール写真には、Pray for Japan, Support Japanと書かれたデザイン
のワッペンを貼る人達が現れた。 Facebookの内にワッペンをプロフ写真に貼るアプリも
あっという間に日本をサポートする人たちに受け入れられているようだった。

GoogleのCrisis Responseページも素早い対応だった。 
避難所に一時は20万人以上が非難していると言われていたが、安否がわからず自身の
親族や家族と連絡を取ろうとしている人たちのサポートのために、サイトは素早く機能してい
た。しかもこれらの作業のうちの大半がボランティアの人たちの手によって。  
避難所では紙の上やホワイトボードに書かれた避難者の名前を次々に写真にとり、
それらをCrisis Responseページのフォトアルバムにアップしているボランティがいる。 
オンラインになった写真を全国のネット上の人が協力し、次々に文字に起して、
Crisis responseのデーターベースに入力していたのだ。 
私自身も、文字起しに参加してみようとオンラインのアルバムを見ていたが、何百枚もある
写真のメモ部分に、全国からアクセスしているボランティアの力によって次々に避難所の人達
の情報が一瞬一瞬書き込まれて増え続けているのを目の当たりにしたのは圧巻だった。

次に感じたのは情報ソースの拡散だった。
福島原発の津波による事故関連のニュースは日本のメディアでは歯切れの悪い内容の報道
が続いているなかで、それぞれの情報の真偽はまた別の問題としても、ネット経由で
はあらゆるものを見つけることができるようになった。 
元原発関係者がニュースの報道にいてもたってもいられずにストリーミングのインタビューに
応じたもの、個人が放射線量を24時間測定し、そのデーターをネット上に公表している
もの、またそういうソースを束ねて日本地図の上にライブの測定データーグラフを表示させる
ようにしたサイト、放射線が流失した場合に風向きから放射線の飛散分布をシュミレーション
した動画を作ったもの、それらは各国からいろいろな立場の人が自身の判断でデーターを
使い、ネット上に公表しているのだ。
ネットに流れるメジャーメディアのストリーミングも、情報ソースの一つではあるが、
それ以外にもいくつものソースが、ネット上には溢れている。

電子メールで初めて知った東北大震災の第一報から、Twitter, Facebook と普段は
Social Networkingツールだったものから現場の臨場感が。 そしてGoogleのPC前の
ボランティアを短時間でまとめあげるダイナミズム。
ニュース報道に至っては、限られたメディアから、きちんと整理編集された部分のみを受け
取る時代から、各々がよりインタラクティブにネットの情報を拾い、理解し、または加工し、
判断して選べる時代になるのを確信した。
メディアの質には大きな差があるが、情報ソースが拡散し続けていることを感じずに
いられない。

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